

吉井源太(よしい・げんた)
1826〜1908・製紙改良技術家
1826年、高知県吾川郡伊野村(現在のいの町)生まれ。
家は代々御用紙漉きで、幼少より俳諧、南画を学ぶ裕福な少年時代を送りました。
紙漉きには並々ならぬ情熱をもって打ち込み、まず初めに大型簀桁を発明。
紙の生産量が一挙に二倍から三倍に上がったといわれるほどの成果をおさめています。
維新後、製紙に関する藩の束縛統制の撤廃によって、
水を得た魚のように活躍を始めます。明治初年には、
楮、三椏、雁皮混合の大小半紙といった新製品を各種開発、
さらに、経済性・防虫のため米糊に代え白土の使用を始めました。
また、精巧な典具帖紙の抄造など、数々の改良や技術の発明を世に送り出すとともに、
最期まで、全国の製紙技術の指導に全力を尽くしました。
その業績は、日本国内はもとより、アメリカをはじめ諸外国に認められています。
彼の著した「日本製紙論」は、今日でも一読の価値があります。
なお、出身地・いの町にある生家は、町の文化財として一般に公開されています。
|